陽電子は1832年にアンダーソンによって発見された電子の反粒子であり,電子とともに対消滅し,質量エネルギーがガンマ線として放出される。凝集相中ではほとんどの消滅が2光子放出過程で起こる。この消滅ガンマ線を計測することで行われるのが,陽電子消滅法という分析手法である。ガンマ線を計測することで,いろいろな情報を得ることが出来る。大きく分けるとそのエネルギーと時刻の情報となる。エネルギーは消滅時の陽電子と電子が有する運動量が影響してドップラー効果が起きる.材料研究では,これによって,消滅時の電子の運動量が計測でき,主には内殻電子との消滅の割合が変化する欠陥などに敏感である.
一方,絶縁材料中では,電子と陽電子の結合状態であるポジトロニウムが形成される。この形成過程は陽電子発見以来,長年に渡って行われてきており,1949年にガス中の現象を説明できる形成モデルがOreによって提唱され,1974年に固体や液体中の現象を説明できるスパー反応モデルがMogensenによって提唱された.しかしながらその後,1980年ころから2000年まで,低温で起こる著しいポジトロニウム形成の増大がこれらモデルで説明されず,多くの誤った解釈の論文が出ることとなったが,我々は図1に示すような,低温で起こる現象を弱く束縛される電子によって説明し,その後,多くの検証実験で正当性を示すことに成功し,その解釈は世界のすべての研究者に受け入れられた[1].図2はそのひとつの例であり,可視光の効果を示している.
図1 物質中のポジトロニウム形成機構.従来のポジトロニウム形成は過剰電子と熱化陽電子との反応で、数ピコ秒までに多くが起こっていると考えられている。新しいポジトロニウム形成は低温暗黒中で入射陽電子のイオン化などで形成される準安定化電子が蓄積され、従来のポジトロニウム形成を逃れた陽電子が拡散し、準安定化電子を見つけることで起こる。そのため、図に示すように徐々に増加していく。また、拡散後に起こるため、数百ピコ秒後でも形成が見られる。
図2 77Kにおけるシクロヘキサン中のオルソーポジトロニウム形成収率(全ポジトロニウム形成の75%)の陽電子消滅寿命測定時間依存性(●;暗黒中、○;可視光下)低温暗黒中では準安定化電子が入射陽電子によるイオン化で形成、蓄積されていき、その結果、右の図に示すような新しいポジトロニウム形成が増えていく。図に示すように可視光によって準安定化電子は消えていくので、従来のポジトロニウム形成による成分のみ(約16%)が残ることになる。
ポジトロニウムはサブナノスケールの空隙が存在するとそこに捕まる。三重項ポジトロニウム(オルトーポジトロニウム)は,陽電子の寿命と同様に,空隙サイズに依存する消滅寿命を示す.高分子中の自由体積は巨視的な量として定義されるが,オルトーポジトロニウムの寿命評価により,微視的な自由体積が評価可能となり,自由体積の分布なども議論できるため,多くの材料工学分野で利用されている。最近,我々は,室温イオン液体中においてオルトーポジトロニウム消滅率のGHz領域の振動を捉えることに,初めて成功した[2].その後の研究で,この振動は室温イオン液体中でイオン同士の間のクーロン力によって形成される構造が原因で起こる事を明らかにしてきた[3].今後の新しい分析手法として期待されている。
また,ポジトロニウム形成は通常,1ピコ秒程度で形成されるため,その形成過程は非常に早い反応の研究に利用できる.一方,ポジトロニウムは一重項状態のパラーポジトロニウムが真空中で125ピコ秒と非常に速い自己消滅寿命を持つが,三重項状態であるオルトーポジトロニウムでは真空中の寿命が142ナノ秒と1000倍以上長く,その結果,オルトーポジトロニウムをプローブとすることで,ナノ秒領域の反応の研究を行うことができる.たとえば,水中で,入射陽電子トラック末端で起こるイオン化によって形成されるOHラジカルと,そのイオン化によって放出された過剰電子と入射陽電子が形成するポジトロニウムとの間には,それぞれの不対電子にスピン相関があり,これらの間で起こる反応に量子ビートが観測される[4].このスピン相関を利用した実験で,OHラジカルの水中における挙動の研究が可能となりつつある.
例えば,金属結晶中に陽電子が入射された場合,欠陥が存在しないと陽電子は内殻電子との消滅が比較的多くなる。原子空孔や空孔クラスターが存在すると,陽電子はそこに捕まり,よって,内殻電子との消滅の確率は減ることとなる。一方,時刻の情報は,陽電子入射時刻を知っていれば,消滅ガンマ線の検出時刻との差が,陽電子の寿命となる。Na-22を用いれば,陽電子放出時に1.27MeVのガンマ線が放出されるので,陽電子消滅寿命の計測が可能となり,現在は半値幅で200ピコ秒以下の時間分解能が比較的容易に実現できる。この手法では,欠陥のない状態では陽電子と電子の重なりが大きくなり,寿命は短くなり,一方,原子空孔や空孔クラスターが存在し,そこに陽電子が捕まれば,寿命は長くなる。このように,結晶中の空孔などに極めて敏感な手法であり,材料工学分野で重要な手法の一つである。この手法を利用できる分野は非常に広い。脆化[5]やクラックの進展[6]などに関する研究も行っている。
陽電子消滅法は最先端のガンマ線計測手法であり,その手法開発も行っている.たとえば,陽電子消滅寿命測定の時間分解能が飛躍的に進歩することで新しい現象を捉え,新しい研究が可能となる.また,計数率においても同じことが言える.最近,波形解析を行うことで,検出器弁別を行う手法を開発し,陽電子消滅法に適用した[7].従来は検出器からの信号はそのまま解析システムに送られ,そこでデータの蓄積や解析が行われてきたが,検出器からの信号を1本のケーブルで輸送し,波形解析を行うことで検出器を弁別し,データの蓄積,解析を行う技術を開発した.検出器の数を増やしても解析系をそれに比例して増やす必要がなく,特に大掛かりな装置を経済的に動かすことが可能になる.
[1] Tetsuya Hirade, Frans H.J. Maurer, Morten Eldrup, Radiation Physics and Chemistry, 58, (2000) 465-471.(日本放射線化学会学術賞)
[2] Tetsuya Hirade, Positronium bubble oscillation in room temperature ionic liquids, Japanese Journal of Applied Physics Conference Proceedings, 2 (2014) 011003.
[3] Tetsuya Hirade, "Positronium in room temperature ionic liquids", AIP Conference Proceedings 2182, (2019) 030007.
[4] T.Hirade, Chem. Phys. Lett. 480, (2009) 132-135.
[5] T. Doshida, H. Suzuki, K. Takai, N. Oshima, T. Hirade, Enhanced Lattice Defect Formation Associated with Hydrogen and Hydrogen Embrittlemant under Elastic Stress of a Tempered Martensitic Steel, ISIJ International, vol52, (2012) 198-207.(日本鉄鋼協会澤村論文賞受賞論文,文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム平成25年度6大成果賞受賞)
[6] R. S. Yu, M. Maekawa, Y. Miwa, T. Hirade, A. Nishimura and A. Kawasuso, Positron microscopic analysis of crack failure in stainless steels, physica status solidi (c) 4, (2007) 3577-3580.
[7] T. Hirade, H. Ando, K. Manabe, D. Ueda, Nuclear Inst. and Methods in Physics Research, A 931 (2019) 100-104.